ホームへ

旅先おしながきへ


茨城県


つちうらじょう

太鼓櫓門(現存)

西櫓(復元)
土浦城 (茨城県土浦市中央1)
天守:なし  続日本100名城
戦国期の主な歴史
1516年 常陸小田家臣・菅谷勝貞が国人・若泉家から城を奪い、菅谷家が三代に渡って城主となる。
1556年 結城・北条連合軍に小田城を奪われた小田氏治が入城。のち小田城は奪還。
1564年 上杉謙信に小田城を奪われた小田氏治が入城。のち小田城は奪還。
1569年 佐竹義重に小田城を奪われた小田氏治が入城。
1573年 佐竹義重により落城。小田氏治は脱出。城将・菅谷政貞は佐竹家に降る。
1574年 城将・菅谷政貞、北条家援軍を得た小田氏治に内応、降伏して小田家に帰参。
1590年 小田原征伐後、結城秀康の支配下に置かれる。
1600年 結城秀康が越前北ノ庄に移封。松平信一が3万5千石で入封。
1617年 西尾忠永(酒井重忠三男)が2万石で入封。

(メモ)
 三代に渡って城主をつとめた菅谷勝貞、政貞、範政は、何度も小田城を奪われた主君・小田氏治に忠義を尽くし、その都度、小田城奪還に貢献している。
 1617年の西尾忠永の入封以降、目まぐるしく城主が変わったのち、江戸中期以降は土屋家が歴代城主をつとめた。この土屋家は、1582年に天目山で「片手千人斬り」と語られるほどの奮戦をし、武田勝頼に殉じた土屋昌恒の子孫にあたる。また、1682年から87年にかけて城主をつとめた松平信興の時代には、松平家臣となっていた山本菅助(勘助)の子孫にあたる四代・菅助が武田流の築城術で改修に携わっている。